2009年3月17日火曜日

トランジションの悩み(マンディーの話/トランジション・マカンスレス)


立ち上がって1年目は結構盛り上がったけど、もうすぐ2年目というのにすでに息切れしてる感じ。知ってると思うけど、マックにはCATがあって、すでに市民ファンドの風力発電会社や太陽温水パネルの会社もある。カーシェアリングのグループも前からあるし、コミュニティガーデンやファーマーズマーケット、パーマカルチャーのコースだってあるのよ。CAT出身の専門家や経験のある人も多いんだけどね、残念ながらみんなすでに自分のプロジェクトで手一杯で、どうしてわざわざまた別のグループに所属して仕事を増やすのかっていう態度が感じられる。せっかく資源はたくさんあるのだから、ネットワークや協働が上手にできたらもっと効果もあがると思うんだけど。

主体的なアクションが不可欠!(クローイの話/エベリストウィズ)


コアメンバーは10人がだんだん減って実際動いているのはもう4人しかいない。スタートしてからもう2年になるけど、お披露目なんてできないでしょう。コアメンバーが解散したら、何も動かなくなるのが目に見えているから。啓発のための映画や講演会にはたくさん人が来るのに。ガーデニングのイベントも人気がある。でもたとえばスキル再習得のワークはだんだん参加者が減っていて、今週はとうとう2人しか集まらなくてキャンセルになったの。問題なのは準備するのはいつも同じ人ばかりだということ。今まで一生懸命やっていたメンバーが新しい仕事に就いて忙しくなったりしたことも原因だけど、やっぱり主体的に活動する人が増えていないのは明らか。声をかければ動いてくれるんだけどね。イベントを運営するための人材育成ワークショップをやろうかと思っているけど、予算もぜんぜんない・・・。

 ホームページもやろうという掛け声ばかりで全然進んでいないし、情報共有がうまくできていないのも問題だと思う。仮に興味のある人やもっとやってみたい人がいても、こちらが適当なタイミングでその人とコンタクトしたり、上手なサジェスチョンを与えることができていないんじゃないかしら。このコミュニケーションのフォローはすごく重要だけど、ボランティアじゃそこまで時間がかけられないのが正直なところよ。私は助成金をとってパートでもいいから謝礼を出してそのための責任者を置こうと会議で提案したけど、みんなはまだそんな段階じゃないと言うのよね。もっと活動が発展してからだって。でも、その役割がないことにはいつまでたってもそこまでいかないんじゃないかしら。

 間違いなく言えることは、知識だけ与えても駄目。人びとが行動する機会も一緒に与えないと。

ユーモアのセンスが大事(エイドリアンの話/トランジション・ルイス)


2006年の9月に最初にロブの話を聞いてすごくショックを受けて、早く何かしなくちゃって思った。片っ端から友達や役場の人に話したりして仲間を集めてグループが発足したのが11月。それまで学校の立ち上げ運動に参加したことはあるけど、特に環境問題に詳しかったわけでも活動家だったわけでもない。最初に集まった15人が10人になり、最終的には5人になったけど、そのコアメンバーもみな専門家ではなかった。コミュニケーションや広報に長けている人たちだったけど。素人がハンドブックを真似してやっただけよ。

 お披露目までの4ヶ月は毎週にミーティング、隔週のイベントで映画を観たり講演を聞く会を開いてとにかく啓発活動と人集めに力を入れたわ。特に相手を選んで来てもらおうとはしなかった。確かに中流白人だけだったかもしれない。でも、行動しようという体制にある人からやれればそれでいいんじゃないかと思う。興味のない人はその後。動ける人が動いているうちに活動は広がっていくと思ったの。動ける人という意味では、退職者や学生みたいな時間のある層が有力かもね。あと、役場の担当者に声をかけたら市長やジャーナリストにも話しがつながっていって、広く人を巻き込む結果になった。コアグループが5人に落ち着いた一方で、メールやニュースレターで呼びかけをするうちに、活動メンバーは150人くらいまでに広がった。オープンスペースはいろんなアイデアを聞くのに有効。あれがきっかけでプロジェクトが始まっていった。プロジェクトグループが立ち上がりそうになってきた2007年4月にお披露目をしたの。その後も7月までに10件のイベントを開催して、その間もウェブやニュースレターでお知らせをし、メールで参加者のフォローアップは継続して行って、盛り上がりができてきた。「答えはない。あるのは問いだけ。でもみんなでその答えを探そう」ってことでしょ。気持ちの盛り上がりが大切。その際大事なことは平易な言葉で語りかけることね。相手は普通の人ということ、人の気持ちがどうやってポジティブな行動に移っていくかということを意識して。

 お披露目の後、コアグループはそれぞれのプロジェクトグループに所属するようになった。7月には「目的と原則」を確認するミーティングをやって、以後は月1回のフォーラムでそれぞれのグループの進捗状況を報告することになっているの。基本的にそれぞれのグループは独立していて、それぞれイベントをやったり会社を設立したりしている。中にはリーダーがワンマンだったり、うまくリーダーシップがとれなくて進まないグループもあったわね。そういうときは他のグループが仲裁に入ってサポートしたりもしたの。今は正確に何人活動しているかわからないけど、メーリングリストの参加者だけなら500人くらいいるわ。

 長くやっていればトラブルも当然出てくるわよ。私だって、突っ走りすぎだとか、いろいろ言われたこともある。この問題ってすごく深刻でしょ。困難や問題ばかり見ていると暗くなっちゃうから、どんなときも気持ちをポジティブにしていられるようなユーモアのセンスは大切ね。

上手に人を巻き込んで(アンディの話/トランジション・ルイス)


2006年の11月にエイドリアンに誘われて、それからトランジションにはまっているの。そのときはまだルイスに引っ越してきて3ヶ月だったけど、それがきっかけで本当にこの町が好きになったわ。これまでロンドンに12年、ブライトンに5年住んだけど、私は南アフリカ生まれのユダヤ系というマイノリティに属するせいか、どこもここは自分の町だという気がしなかったのね。ルイスの人びとは異文化や新しいものにオープンで理解があるし、私もすっかり地元に馴染んでいるの。そういう意味で、トランジションにはぴったりの文化というか土地柄だったんでしょうね。
だから、私たちが最初に集まってからわずか4ヶ月でお披露目ができるまでに盛り上がったのね。もっともその4ヶ月は本当に死に物狂いで働いたわよ。私も広報を担当して、1000ポンドの寄付金を集めるのにすごくがんばった。うちの息子は当時6歳だったけど、一緒にチラシを配ったりして、あの子にとってもとてもいい体験だったと思うわ。コアメンバーは初め8~10人くらいいたけど、最終的に5人になった。特に専門家という人はいなかったけど、そのうちいろんな人が集まってきて、アート、ビジネス、エネルギー、食、健康、教育、交通などのグループがたちあがっていったのね。お披露目をした時点でコアメンバーは解散というか、それぞれのグループに入っていったの。今は、主に心と魂グループに所属している人が多いかしらね。
(写真上:ルイスポンドで支払いのできるパブ)

 どうしてそんなに早く広がってお披露目に至ったかって?プレスリリースがコツかしら。地元の新聞が協力的だったし、それ以外にもニュースレターを発行したりして積極的に広報したから。
 あと、映画やイベントに参加した人には毎回アイデアを書き出してもらって、たとえば「役所がすること」「私ができること」みたいなノートを張ってもらうのね。もちろん連絡先もきちんと管理しておいて、後日フォローアップやサジェスチョンをして上手に人を巻き込んでいったの。 特に力を入れたのは「スキルの再習得」イベントで退職者とか時間のある人を誘ったことね。小さくてもいいからアクションを続けていくことが大事じゃなかしら。

 チャレンジ?お金が課題でしょうね。今は誰も給料をもらっていなくて、イベントごとに助成金があれば多少の謝金を払うくらいだけど、将来的にはこのやり方はどうかしらね。ただ、使い方については透明性が大事で、情報をきちんと共有したりフィードバックすることに気をつけるべきでしょう。

行政との連携がキー(クリスの話/トランジション・ルイス)

2年前にTTLewesの主催したオープンスペースに参加したとき、市役所の持続可能エネルギーの担当者だったマシューから再生エネルギーの会社をたちあげないかという提案があったんだ。それがきっかけであっという間にOvesco(社会的企業)を設立することになった。すでにエネルギー系の会社を経営していたハワードの後押しも大きかったと思うよ。僕?それまでは建築デザインの仕事をしていた。ロンドンの大都市を転々として華やかなビルを設計する仕事にうんざりしていた時期だったから、会社を辞めてこの仕事を引き受けることにしたんだ。もっともこれだけじゃ食べていけないからここはパートタイムで週2日だけ、外でも多少は稼いでるけどね。このオフィスはOvescoとTTLewesが一緒に借りてるから、ときどきはTTLの広報なんかの仕事もするよ。


当時、市役所は太陽温水パネルを普及させるための補助金をつくったけどほとんど利用されない、当時請け負っていた企業はロンドンの会社だったのかな、あまり熱心ではなかったらしい。地元にネットワークがあって、単なる金儲けじゃなくて環境問題に真剣な企業がほしかったんだ。マシューは積極的で、入札プロポーザルの準備も手伝ってくれた。結局、前に請け負っていた会社よりも僕らは2倍以上の実績を出してみんな喜んだというわけさ。でも、来年また入札があって続けて受注できるという保障はないけどね。

行政職員との協力的な関係は成功の秘訣のひとつだろう。ルイスの場合、ラッキーとしか言いようがないけど、たまたまマシューのような熱心な担当者が向こうから来てくれらんだからね。でも、そうじゃないケースでも、こちらから一生懸命足を運んで活動をPRすることも大切じゃないかな。行政の側も、よい協力者を探していたり、助成金の使い道に困っているケースもあるからね。

みんなでできることを持ち寄って

「ペンパーキー・グリーン・イベント」(ペンパーキーは市内のある町内会の名前)もトランジションらしいイベントのひとつだ。お年寄りの知恵や我が家の伝統的な技を集めて地域のグリーン・リソースを開拓し、参加した人がそこで学んだアイデアを家に持ちかえり実行してもらうことをねらいとしている。残り物を利用した料理や編み物のデモンストレーションがあったり、バイオディーゼルやガーデニングの本の販売があったり、とても楽しそうだ。


スキルスシェアを推進するグループの冊子を開くと「草刈します」「犬の散歩をします」「ブラックベリージャム作ります」「ジーンズのすそ上げします」「自転車修理します」などなど、一見技術とは呼べないようなものでも、あったら便利、しかも民間サービスに頼るよりも実はお得な小技がたくさん登録されている。「いついつどこどこへ定期的に車で行くが、同乗したい人はお知らせください」というカーシェア情報もあった。このグループのルールでは、基本的にはお金を使わずに自分の技術や労働を提供することでサービスを受けられる仕組みになっているが、サービスをお金でやりとりするケースもある。

いずれにしても、地域内の資源やサービスを地域内で活用、循環することは、環境への負荷を減らすばかりか、地域コミュニティの活性にもつながる。大型スーパーや通販で手に入るものは、聞いたこともないどこかの国で、それも不公平な労働によって生産され、さらに莫大な石油エネルギーを費やして搬入されたものかもしれない。それらの安物を壊れては捨てて買い換えるという生活は、明らかにサスティナブルではない。生産者の顔がわかるものはより安心で、大切に使おうという気持ちもわくだろうし、ちょっとした工夫があれば使いまわしたり修理したりして長く使うこともできる。「地域主義」はトランジションの大きな柱であるが、その一歩として有効なイベントだ。

国連や国家政府が目標を掲げるだけではこの地球規模問題は解決しない。また、どんなにローカルにがんばっても自分たちの町だけサスティナブルでハッピー、ということも難しい。この問題に国境や派閥はないのだ。そして市民の行動が大事と言いつつも、専門家や技術者、行政のサポートも欠かすことはできない。市民の勇気ある一歩、消費者の意識の変化に応えて商工業や政治経済界も必ず変化していくだろう。まさに行政も企業も市民も一体となって「トランジション」する必要があるのだ。

2006年9月、英国ではじめて「トランジション宣言」をしたトットネスに続き、各地でトランジション・タウンが誕生し、活動は勢いを持って広がっている。日本でも、その波動を受け、2008年6月「トランジション・ジャパン・プロジェクト」が結成された。「トランジション」の考え方を普及するための説明会を行うと、会場はいつもいっぱいで、人びとの興味関心の高さ、そしてこの運動に対するニーズの高さが伺える。
専門家がいないからとか、資金がないからできないということではなく、むしろ今自分たちが持っているものに着目しそれらをつないでいくこと、ちょっとした意識の変化で方向性を変えていくこと、そしてそれぞれの地域性や風土を活かしながら小さくてもできることを増やしていくのが「トランジション」のアプローチだ。英国とは違った日本独自、地域独自のプログラムがどんどん生まれるだろう。さきがけて活動をスタートした東京都の小金井、神奈川県の藤野、葉山に続いて、近い将来、日本のあちこちの町で「トランジション旋風」が吹くことを期待したい。

私には何ができる?(トランジション・アベリストウィズ)

私は2006年3月から2007年9月に渡ってウェールズのアベリストウィズ(人口約1万4千人)という町の郊外に住み、コミュニティガーデンを主宰しながらトランジションに参加した。毎月ミーティングを開き、約80人のメンバーがメーリングリストで情報交換しながら、そこで出てきた案をもとにプロジェクトを企画・実践している。最初はピーク・オイルをテーマにした映画を観たり講演会を開いたりと、「課題を知ること」「意識づくり」からスタート。次は「エネルギー」「交通」「建築」等のテーマグループ別にいくつかの部屋に分かれて、具体的にどんなことができるかを話し合った。

私の参加した「食」のグループでは「子どもの健康が心配。学校給食を考え直したい」「市民農園が空くのを2年も待っている。遊休農地を開放してほしい」「近所の公園が芝生だけなので、りんごなどの果樹を植えたい」などの意見が次々と出た。ファーマーズ・マーケットを運営している団体の女性からは「これまで月に2回開かれていたマーケットに対する市役所の助成が今年度から打ち切られた。助成を続ける請願に協力してほしい」という提案があった。それをきっかけに地域の食や農業をサポートするべきだという議論が白熱。その中で「消費者の意識変革を促すイベントを開催しよう」という案が出された。こんなとき、彼らの行動は素早い。あっという間に半年後のイベント計画がスタートした。「依存から自立・共存へ」「トップダウンからボトムアップへ」はトランジション・イニシアティブのスピリッツだが、行政や大きなパワーに依存するのではなく、小さくても市民自ら行動することの大切さを実感するプロセスだった。

TTAbe(Transition Town Aberystwithの略)ではクリスマス市と組んでファーマーズ・マーケットを開催。ちらしを撒くなどして地域の食や農業についてPRをしたり寄付金を募ったりした。また、「フード・ディベート」と称して「食」に関するさまざまな情報やアイデアを持ち寄る会も開いた。地元の伝統的な野菜の種を保全しようというグループ、フェア・トレードの推進団体、野草の料理をデモンストレーション(この日はイラクサ入りのオムレツ)するグループ、パーマカルチャー、有機農家認定団体、ビーガン(完全菜食主義)グループなどが集まり、会場は関係者なのか一般の人なのかわからないが大勢の来場者でにぎわっていた。

このイベントを通じてガーデン好きのネットワークがぐんと広がった。私のコミュニティガーデンにもボランティアが来てくれるようになり、そこで種や苗の交換をしたり野菜の宅配を始めるようにもなった。菜園に挑戦したいがスペースがないという人のためには、遊休農地や公共用地を紹介するマッチングのイベントも開催された。名づけてガーデン・エクスチェンジ。それがきっかけで、友人のグループが教会の用地を借り、さらに参加者を募って来春には住民主催の市民農園をオープンすることになった。「分断からつながりへ」「GetからCreateへ」もトランジションのスピリッツである。人を巻き込み、はずみをつけて触媒のような働きをするイメージが湧いてくる。

トランジションタウンとは?

英国では最近、環境運動が様変わりしている。「トランジション・タウン」がそれだ。「トランジション」は英語で変遷、移行の意味で、石油依存型社会から持続可能なまちへ移行するための市民活動を意味する。石油生産量がまもなくピークを迎え安価な石油が手に入らなくなるという予測(ピークオイル)、そして地球の温暖化に伴って世界各地で発生している気候変動の事実を真剣にとらえ、将来に備えて社会構造や市民のライフスタイルを変化させていこうというのが運動の大筋である。
提唱者ロブ・ホプキンスの著書「トランジション・ハンドブック」では、「トランジション・タウン」ではなくあえて「トランジション・イニシアティブ」と言い換えている。行政区域を単位とする従来型マスタープランのイメージを避け、「イニシアティブ=市民の責任ある決断、行動の第一歩」という部分を強調しているようだ。

「トランジション」がこの数年、英国はもとより世界中で人気を得、広がっているのは、緊急かつ深刻なこのテーマに明るく前向きに取り組む姿勢が多くの人を魅了したからだろう。ハンドブックを読むと、人びとがさまざまな知恵や技をもちより、想像力豊かに取り組めば、これからやってくる「移行・変遷(トランジション)」の結果は必ずしも今よりも質の低いみじめな時代の到来ではなく、むしろ地域がいろいろな意味で力を取り戻し、地球環境的にも個人のライフスタイルとしても優れた社会になる、という希望を感じることができる。ひたすら恐怖心をあおり、罪の意識をかきたてるようなネガティブな主張ではなく、いかに自分の生活や自分のまちを変えていけるかを楽しむ建設的で創造的な姿勢がそこにはある。


12のステップにはコアグループの結成、意識づくりに始まり、関連団体との連携や創造的なミーティング、ワーキンググループによって目に見える実例をつくっていくこと、またお年寄りの技術に学んだり、地方自治体と協力関係をつくることなどが盛り込まれている。いずれも行政計画のような一律な目標年次や定めるべき項目はなく、その都市、町村、あるいはどんな単位の集団でもそれぞれの地理的特性や文化風土を活かして独自の目標やプログラムを作っていくのが特徴だ。

トランジションのコンセプトを理解するひとつのキーワードに「レジリエンス」がある。きたるショックの日にパニックを起こすことなく、また対処療法的な手法でとりあえず場をしのぐのでもなく、しなやかに外界の変化に対応しながら、再生する力を身につけようという意味がこめられている。日本をはじめ先進工業国はハイテクを駆使してこれまでの状態を維持しつつ問題を解決しようとしてきたが、これはいわゆる「レジリエンス」のないやり方だといえる。ハイテクは緊急時に弱かったり、経済的に持続可能でなかったりするからだ。また、自らの資源は保全できても結果的に他者を搾取したり、社会格差を招いたりする可能性も否定できない。